▶地元・大曲浜の自然に愛され、育くまれた感性。
1980年 宮城県桃生郡矢本(現:東松島市矢本町)生まれ。
矢本漁協協同組合組合長兼2代目海苔漁師の父・相澤勝利の長男として、波の音を子守唄に育つ。
幼少期には野生のカモを捕まえペットとし、家族に黙って自室で飼育を試みる。想定外の鳴き音に後悔し一晩で自然に帰す。高校時代には、昼は波乗り、夜は浜辺でRapの作詞活動。若気の至りと海と錯綜。
▶18 歳で海苔漁師の道へ。
2004年奉献乾海苔品評会では、弱冠 23 歳で準優賞。
2009年には、史上最年少・28 歳で優賞を果たし、二度の皇室献上の栄誉に授かる。
名実ともにエースと謳われ、日本屈指の 海苔の浜、地元・大曲を、「皇室御献上の浜」ブランド化へと導く。
▶ 震災前後の変わらぬ思い。挑戦。革新へ。
2008年 現代食産業や日本の抱える課題に気付き、変革を我が世代の使命と捉え、震災前から一人果敢な挑戦を行う。
2011年 甚大なる震災被害をうけるも、率先した統率力で組合員を牽引し、いち早い漁復活を成し遂げる。
2012年 海苔漁再開。
その行動力、決断力、突破力、強い思い、こだわり、世界観は、多くのメディアを通じ徐々に知られることとなる。
▶食のプロから赤ちゃんまで。
食べた人の体と心を育む”厳選”海苔は、評判が評判を呼び、例年完売御礼。
▶「海苔作り」を通じて、次の世代のために生きる。
次世代漁業を担うリーダー としての生き様にも多くの感動が寄せられ、全国各地から見学・視察・取材が相次ぐ。
自然と人の未来を描く熱き言葉で、ワークショップや講演・研修等は、企業・学校・公共機関・地域コミュニティ・メディアを問わず、地元や都心~日本各地から2018年デンマーク海外派遣されるなど、絶賛活躍中。
2015年5月
海苔漁師として、常に自然と共に過ごしています。
日本の食の安全と食品自給率を守り、次の世代へつなぐ一次産業従事者としての責任と使命を誇りに思い、 海と生きています。
食べる人の顔を思い浮かべながら、一人でも多くの人に喜んでいただけるように、「一生で一番美味い海苔」を作ることを目指しています。
どれだけ味が違うんだ?って、はっきり言えます。
食べ比べたらわかります。
僕らは毎年、海苔の”細胞”の段階から勝負をかけています。
海苔の表情と環境を読み解き、天候や海と対話しながら、作っています。
海苔本来が持つ細胞の力をいかに引き出して、
食べた時に口の中の何噛み目で、海苔の旨みを最大限に爆発させるか。
米と合わせた時に、どんな風にご飯の甘みを引き立てるか。
味付け、旨味調味料(アミノ酸)、添加物、一切使用せず、
子供たちやお年寄りにも堂々と胸を張って、安心安全で美味い海苔だと感じてもらえる自慢の海苔。
これは漁師にしかできないことです。
産地の違い、特徴の違い。
それぞれの浜×生産者の数だけ×毎年違う味。
海の環境は毎年違うからです。生産者の思いも個性も違います。
そのために、僕の海苔だけでなく、同じ大曲浜の海苔、宮城県の海苔、日本全国の海苔、 たくさんの海苔を食べ比べて、奥深い海苔の世界を多くの方に楽しんでもらえたら嬉しいです。
凄い生産者は、日本中に何人もいます。
そして、できれば生産者の名前のわかる海苔を食べて欲しいです。
食べる人と作る人がつながると、そこに感謝や感動が広がることを知りました。
「食べた人の喜び」の声は、僕ら「生産者の喜び」になりました。
もっともっと美味い海苔を作ろうと、やる気が出ました。最高の循環です。
僕は海苔漁師なので、海苔漁師にしかできないことをして行きます。
10年ストックできる在庫保管しやすい海苔じゃなく、「食べて美味い海苔」。
水揚げのため、一番になるため、問屋さんのためじゃなく、食べる人に喜んでもらって、笑顔を見たいから。
作る人と食べる人の未来をつなぎ、子供たちの未来、次の世代につないで行きます。
そうして、日本中の海苔漁師や生産者が誇りある職業だと胸を張って、子供達に憧れられる存在にしたいです。漁師としての誇りや生きがいを、これから波及して行きます。
さらに、海苔を通じて、漁師、漁業、水産業、一次産業全体、食文化、そして、自然、環境、未来のことを。一人でも多くの人に関心をもっていただけたら、日本が、世界が、未来がもっとよくなると考えています。
だから、海苔漁師として日々想うこと。
海苔のこと、海のこと、自然のこと、生産現場のことを、これから発信していきます。
これからもよろしくお願いいたします!
2015年5月吉日。相澤太